日本書紀によれば、景行天皇が熊襲を征伐されて後、当地に巡幸になり、その折「八女」の名が起こったとしるされている。「広川」の名称が現れるのは、天 承元年(1131年)崇徳天皇の代で「広川の荘」はさらに、「上の荘」「下の荘」に分かれ現在の広川町は「上の荘」に属していた。
慶長5年の関が原役後は、筑後33万石の田中吉政の治世下に入り、元和6年(1620年)からは久留米21万石の有馬氏の所領となり、明治維新を迎えた。
古代から軍事・交通・外交上の要地としてしられた香春ですが、地名の漢字は複数あります。
河原、鹿春、清河原、加波流、賀春、香春、香原などと多様に書き残されています。
それらの語源は、古代においてカパル(急険な)カグポル(金曜日)と言う意味から来たという説もあります。
その原典は、万葉集の九巻の歌に「豊国の香春(加波流)は吾宅・・・」や豊前風土記に「田河の郡、鹿春の郷・・・」語源はいずれも『川原』の意味から取ったあて字であって、金辺川(清瀬川)の美しい川原の意味であると書かれています。
古代に大国主命が出雲から英彦山に移り住み、農耕に適していることから開拓を進め、山峡から流れる水が落ち合ったところを「落合」、田を増したところを増田(後に升田、現在は桝田と書く)、田を添えたところを副田(後に添田と書く)「添田」と名付けたらといわれています。
町章は「ソエ田」を図案化したもので、下部は、町木の樫(かし)の葉です。
大任町は福岡県の北東部に位置し、田川郡のほぼ中央にあります。 東は岩石山畳を隔てて赤村に隣接し、北と北西部は香春町と田川市に接し、西は大峰丘陵を隔てて川崎町に接し、南は添田町に連なっています。 町の中央を南北に彦山川が貫流する低地帯(田川盆地)で、周囲は丘陵地域となっています。広さは、東西3.6km、南北7.2km、総面積14.26k㎡です。